『原発危機と「東大話法」―傍観者の論理・欺瞞の言語―』安冨 歩

原発危機と東大話法

 

原発危機と「東大話法」―傍観者の論理・欺瞞の言語―』安冨 歩

 

安冨歩さんの本は「生きるための経済学」をきっかけにいくつか読んでいた。 安冨歩『生きるための経済学』シジョウとイチバ で、最近youtubeでもいろいろしゃべってくれていて、勉強になる。 安冨さんは学者というより、本当に本当の事実、真実を追う研究者であり、芸術家でもある。 東京に行ったらばったり会いたい人です笑 言葉のレッスンに力をいれている、というよりメタスキルに力を入れている、心を大事にするオトノネとだだガブリな思想?をもっている安冨さん。 名刺の抽象性、名詞のもつチカラをブログに書いたことがあるが、それを歴史的な事件にまで広げてくれるとは。 恐れ入る。

 

ーーー

子路は言った。「衛の君主が先生に政治をさせたとしましょう。先生はまず何をなさいますか」 先生は言った。「必ずや、名を正す」 子路は言った。「これだから、先生は迂遠だ」 「子路」というのは孔子の弟子の名前で、「衛」というのは国の名前です。子路は「先生は迂遠だ」と行っていますが、もちろん、迂遠ではないのです。何か大変な危機的事態になっている時、最も恐ろしいことは、人々が欺瞞的な言葉を使うことです。 たとえば日本は、戦争に負けそうになって、毎日、B29が飛来してナパーム弾を落としている時に、「日本は神の国だから負けない」という言葉を振り回していたので、自体をどうすることもできませんでした。降伏することすらできなかったのです。自体をなんとかするためには、「このままでは確実に負けて、国土が焦土になる」という自体を反映した言葉で施工し、行動しなければなりませんでした。 しかしそれをすることは、当時の政府の枢要な地位にあった人々にはできませんでした。そのために自体はどんどん悪化し、沖縄で膨大な犠牲者を出し、東京が焦土となり、二発の原爆を投下され、それでも戦争をやめられませんでした。最後に「日ソ不可侵条約」という紙切れ一枚を根拠に、友好国だと勝手に思い込んでいたソ連が参戦して、満州国に新ニュしてきたことで、ようやく幻想が剥がれ落ちました。そこで「国体護持」という言葉が見出され、日本は本土決戦の前に、かろうじて降伏することができたのです。なぜそんなに降伏するのが怖かったのかというと、「鬼畜米英」という相手に貼ったレッテルを、自分で新んじて「降伏したら全員殺される」と思ってしまったから、と言う側面があったと思います。 そもそも、そういう「危機」を生み出すのが、この言葉の歪みです。自らの国のあり方や、国力や、軍事力について、正確な言葉を用いなくなったことで、この国は暴走し、あの愚かで無意味な戦争に突入してしまったのです。言葉が歪むことで、人々が事実から目を背け、事実でないものに対処することで、全ての行動が無駄になり、無駄どころか事態を悪化させます。そして正しい言葉を使おうとするものは「非国民」扱いされ、口を封じられ、それでも封じないと殺されました。こう言うことが続くことで、表面上の平穏が維持され、やがて暴走が始まり、最後に破綻したのです。 (略) これが「名を正す」ということの力です。孔子はそれうえ、「必ずや、名を正す」と言ったのです。名を正さないことには、何も始められないからです。 とはいえ、正しく言葉を使うことは、大変、勇気のいることです。たとえば、家庭でも、夫婦仲が悪くなっているというのに、「夫婦なんて、どこだって、こんなもんだ」ということにして、「夫婦仲が悪い」という言葉を出さないでいることにより、果てしない欺瞞と隠蔽とが生じ、困難と苦悩とが生まれます。それは夫婦のみならず、家族全員を窒息させてしまいます。 あるいは会社でも、こんなことをやっていたらいつまでも続くわけがない、とだれもが思っている事業が、いつまでも続けられるケースが多いのですどうしても、「これではだめだ」と言うことができず、無意味な労働と資源の浪費が続き、挙げ句の果てに会社が危機に落ちいぅてしまうのです。 それがどんなにつらくてひどいことであっても、事実にふさわしい言葉が用いられることにより、人間は事実に向かって対応することが可能となります。この勇気さえ持てるなら、人間は自体を乗り越えていく知恵を出すことが可能となるのです。その時、自体は好転し始めます。そればかりか、「危機」は新たなる「機会」へと変貌します。これが「名を正す」ということの意味です。(p.36)

学校という魔王の使う言葉、暴力、もしくは会社でのそれをそのまま「黙認」する、言葉にしない、無責任を取る(爆)ことで暴走が止まらない状況がある。それは「合格実績」だとか「大学」だとか「学歴」だとか「上場会社」とかいろんな言葉の物語を支えている。沈黙が、日本を支えている。  

 

子どもが沈黙する、日本の言語環境。空気読む(言葉が育たない)文化?? 大人のやましい沈黙。子どもの計画的不登校。 言いたいことが言えない。

 

発達障害」「ウィスク」「遅れ」「学校」「支援級」「通常級」「いじめ」「保護者」「先生」「不登校」「生徒」そんな言葉の一つ一つが、呪いの言葉としてしか使われていない現状がある。一体、その言葉は、何を指し示しているのか、わけがわからない。 「いじめ」についても僕はブログで書いている。 「発達障害」についても書いている。 「不登校」についても書いている。 「合格実績」についても。 だが、だがしかしだ笑 多くの記事を読んでもらっているのに、反応がないし、届かないらしい。 言葉というのは、そういうものだ。と、諦め、られないのが、僕だ笑 僕の言葉の使い方は、まだ弱いのだ。 と、反省しながらも。  

 

言葉の重み(俳優と演出家の役割) 困っているけど声を出せないお母さんなう

 

どうしたものかな?とおもいながら、ちょっと試してみたいことがあったりする。 (お楽しみに!) まぁなんにせよ呪詛の強さに驚く。 「自然(自由)」と言うことについても書いている。 「子育て」と言うことについても書いている。 「責任」と言う言葉についても書いている。 「大人の宿題」と言う言葉についても書いている笑 ブログのカテゴリーに「言葉の玉手箱」を作ったのも、現実を知るために言葉を改めなくては、新しい言葉を作らなくてはいけないと思ったからだ。 本来、それは詩人の役割だった。 詩人はどこに行ったのか?キャッチコピーを考えて商品を売る魔王の手先になっってしまった。 この点、安冨さんも詩人だろうと僕はおもう。 宿題をやらないだけで、非国民扱いされる、学校はまだまだ戦争状態だ。日本はまだ、いまだに、戦時を生きている。

「混み合い」理論とあそびと月月火水木金金。まだ誰かが「非国民!」と叫ぶ声がコダマする日本。  

子どもも大人も月月火水木金金

 

=============

仮面ライダー新1号のオープニング主題歌の後には、 かめんらいだー本郷猛は改造人間である。彼を改造したショッカーは、世界制覇を企む悪の秘密結社である。仮面ライダーは人間の自由のためにショッカーと戦うのだ! という、私が子ども時代にしびれたナレーションが入っていますが、仮面ライダー小出裕章も改造人間です。原子力村ショッカーが大学や大学院でいろいろ教え込んで、小出さんを改造したのですから。仮面ライダー・本郷猛が、精神まで改造される前に逃げ出し、ショッカーによって改造された身体を武器に戦っているのと同じように、小出さんはわずかの仲間とともに人間の自由のために原子力ムラと戦っています。小出さんもライダーも、ショッカーや原子力ムラが次々に繰り出してくる「怪人」と戦い続けていますが決して傷つかず、倒れません。 石森章太郎は、「世界がショッカーに支配されかかっており、人間の自由を守るには、一人一人が仮面ライダーとなって戦い続けるしかない!」という驚くべき真実を、当時の子どもたち(すでに私のように中年になっていますが)に伝えようとしていたのだと私は考えています。こんなことを大真面目に書くと、頭がおかしいのではないか、と思われるでしょう。それは覚悟の上です。私も、以前はこんな風には考えていませんでした。私が考えを改めたのは、東京大学に就職してからです。それも、しばらくはそんな風には考えなかったのですが、何年かの間、いろいろと奇妙で不愉快で悲しい体験を繰り返すうちに、ある時、ハタと、 「東大って、ショッカー?!」 と思った瞬間に、一挙に多くのことが理解できるようになったのです。それで考えが変わりました。それから東大で生きるのが、随分と楽になりました。それ以来、「東大=ショッカー」説をあちこちではなしていたのですが、みなさん面白がってはくれるのですが、本気にはしてくれませんでした。しかしそれでも負けずに話していたところ、今回の原発事故が起きたのです。すると、ある精神科医の友人が、 安冨さんが東大について行っていたことは、面白いなと思っていたけれど、やはりお袈裟に行っているのだと思っていたんです。でも、原発事故で東大の人がテレビにたくさん出てきて、むちゃくちゃなことを行っているのをみて、「ああ、本当だったんだ」と思いました。特に、ネットで大橋教授という人の話す様子を見て、「こんなにも純粋の悪意を持った人間が、実在するんだ」とショックを受けました。それで、やっと本当だとわかりました。 と言ってくれました。(p.88)

僕は実はこの本を今読んだばかりで、ショッカーという言葉も今、なるほどなとおもった。 その前に、ラジオ番組で、話の最後にシューベルト「魔王」が流された時、ああ、魔王ってたくさんいるよな。魔王に囲まれて僕らは暮らしているよなとおもった。

 

僕は純粋な悪、というもの、笑顔で近づいてきてさも正しいようなことをにこやかに喋りナイフで刺してくる人とたくさん出会ってきたので「魔王」の甘いささやきに覚えがあったのです。 それは学校の先生だったり、塾の経営者だったり、保護者だったり、会社員だったり、それこそ、道端で出会う人であったり。 「純粋の悪意を持った人間が、実在する」 しかもすぐ近くにいる。 その事実を、事実として認められますか。 そしてそういう人が役職のトップになる世の中だということを、認められますか。 (その傾向はパーソナリティー特性の本でも書いてあった)  

『パーソナリティを科学する―特性5因子であなたがわかる』のメモ

 

僕は、「魔王」という言葉で理解したものを、安冨さんは「ショッカー」という言葉で理解していた。 言語は違ったけれども、同じものを指している。僕は「魔王」は弾いたこともあったし身近だったが、仮面ライダーには疎かった笑 言葉をつくる。 事実を表す言葉を使う。 事実を認識していく。 そうして、心ができていく。

「東大って、ショッカー?!」と思った瞬間に、一挙に多くのことが理解できるようになったのです。それで考えが変わりました。それから東大で生きるのが、随分と楽になりました。

と書いているのは、本当のことだとおもいます。「知る」ということが、「心」をつくるためには必要だからです。 「見えない」「感じない」のでは、どうして心がつくれるでしょうか。(それが多くの子どもたちの状況だとおもうと、悲しくなります) で、世の中にたくさんいるショッカー(魔王)たちの使う欺瞞の言語に「東大話法」と安冨さんは名前をつけました。 新しい言葉をつくりましたー! その言語を生み出した文化は、

徹底的に不誠実で自己中心的でありながら、 抜群のバランス感覚で人々の好印象を維持し、 高速事務処理能力で不誠実さを隠蔽する。(p.114)

こと、だそうです。 これは東大に限らない、日本のいたるところでみられる文化だと、すぐにわかりますか。 思い当たる節が、多々あるように、おもいます笑 ===============

東大が憎いからと言って、東大を解体しても、無駄なのです。東大を潰せば、京大か慶応か早稲田か知りませんが、どこか他の大学がその機能を担って「東大化」するばかりです。必要なことは、「東大話法」に代表されるような、日本社会に蔓延する欺瞞話法を鋭く見ぬ浮くことです。他の人が仕掛けてくる「東大話法」を感知して、騙されないことです。これは自分自身を例外にしてできるものではありません。ここの人が、自らの中の「東大話法」を見出して取り除くことに努力せねばならず、そうすることではじめて、他人の欺瞞も見抜けるようになります。自分は欺瞞話法を駆使しつつ、他人の欺瞞話法を見抜くというのは、無理な相談だからです。そうやって多くの人が「免疫」を作動させれば、東大関係者も「東大話法」などを振り回せなくなり、真摯な思考に向かって一歩踏み出すことが可能となります。「東大話法」は東大だけが作り出しているのではありません。東大話法を振り回されていると恐れ入って感心したり、納得したりする人もまた、重要な加担者です。東大という権威をもっ東大話法を話せば、多くの人が納得し、その納得がまた東大の権威をも違える、というう相互依存構造になっているのだと私はかんえてています。単に相互依存しているばかりではありません東大話法を振り回せr多人が、畏れ入ってしまうと、今度はその人に東大話法が侵入してしまいます。かくてその人が今度は、別の人に東大話法を振り回します。それは単に言葉遣いがうつるというばかりではなく、その欺瞞的精神の作動そのものの感染です。誰かが東大話法を振り回し、誰かがそれに恐れ入ると、それが東大話法の話者を生み出し、その話者がまた東大話法を振り回し、さらに東大話法の話者を生み出します。人々が麺系を作動させないでいる限り、こうやって東大話法が鼠算式に自己増殖するのです。この自己増殖を放置すれば、あっという間に、社会全体が東大話法に感染します。 ですから、私が本書の読者にお願いしたいことは、東大話法を使っている人を見たら、感心して納得するのではなく、「これは東大話法だ!」とはっきりと認識して、笑っていただきたい。ということです。人々が東大話法を聞くたびに、納得するのではなく、笑っていただければ、東大話法を維持している相互依存関係は崩壊します。(p.192)

悪口、非難の文体をもった言葉がネット上で溢れている。 「やめろ!」「不正だ!」という人たちは、例えば「東大が潰れたあとで別の東大がでてくる」ことをわかっていない。政権が変われば日本はよくなる、と考えているのだろうか。

いやもちろん、自民公明党が調子乗りすぎだから止めた方がいいのは正しいとおもうが、その先が、ない。政権を握った途端に、ナポレオン化するだろう。これは日本の言語文化の問題なのだ、精神文化、心の問題なのだと、安冨さんはいっているし僕もそうおもう。 けど現実は、自分の問題として、誰かのせいにする人が多い。 僕自身が、大切なことをまだ自分ごととしてみれていないことがある。 大人が子ども時代にやり残した宿題を、誰かに押し付けている。 それが、「自然」な世の中で、笑おうとしている子どもたちを僕は尊敬してしまう。  

『アダルト・チャイルドが自分と向き合う本』

8歳、9歳から思春期までの子どもの発達課題(=お母さんの宿題)。

教育とは何か。なぜ、日本人は握手をするようになったのか。【お子さんに宿題を「やらせる」前にお父さんお母さんがやらなきゃいけない宿題】

「時間」が課題・宿題というバケモノになったら(おとのねさんは、やれ!やれ!と言う人だった)  

コドモとして未成熟なオトナ

 

一人一人が「言葉」を正して生きていく。 東大話法が溢れた「自然」の中で、欺瞞の心に感染されないように「健康」でいることが大切なのだと。 そのために「鼻で笑いましょう」と言っている。 ということは、ほとんどの人間と、話ができずに、鼻で笑う関係になってしまうだろう。 笑い合う人が増えるというのだから、いいものかもしれない。

 

============

 

安冨さんは、「職」「役」「家」そして「立場」という言葉を検討する。 「職」は大化の改新で「氏」の連合体を天皇中心で中央集権させ官僚体制をつくるための仕組みであった。 例えば焼き物を作る「職」を担っていた土師氏という「氏」という単位が、平安末期には藤原家といった「家」に移行していった。 中世末期から近世初期にかけて、戦国大名は「職」ではなく「役」の体系を作り上げた。 「役」という言葉が、つくられた。 武士には「軍役」が課された。農民には「百姓の役」が課された。 で、 「役」は「家」と並行して成立したようです。 「氏」という大きな組織が「家」という小さな組織に再編成され、それに伴って「職」という言葉は「役」という言葉に変わった。 うーんちょっと掴みかねるので引用しておきます。 とおもったけど打ち込む元気がないことに気づきました。。 「家業」をすることで「家」は「役」を果たすことになり、「家業」が崩壊すれば、「役」を担えず、「家」は「立場」を失う。 ん?家業って、役なの?

ーーーー

このように「役」という概念は、日本社会の根底を支える哲学なのです。この「役の体系」は現代社会にも大きな影響を与えています。それは「役場」「役所」「役人」「重役」「取締役」「役員」「役者」「役割」「役得」「役回り」「役立たず」といった用語を見れば明らかでしょう。ここから先は私の考えなのですが、少なくとも現代日本社会においては、「役」がその背後にある「立場」と密接に相互作用している、と思います。つまり、 役を果たせば、立場が守られる。 立場には、役が付随する。 役を果たせなければ、立場を失う。 この原理は、国家体制と無関係なところでも明確に作動していきます。 たとえば現代日本の企業がそうです。現代日本社会では、個人の自由が憲法で保証されているはずですが、 企業の中ではそんなものは、そう簡単にはつううよううしません、地涌石で就職し、自由意志で勤務しているはずなのですが、尾藤さんのいうような「企業の一員としての自覚に基づき、その責任を主体的に担おうとする」というような「誇りある」ことにはなかなかならないのです。 なんだか知らないけれど、いろいろな事情で自分にある役が回ってきて、その役を担っているという立場上、その役を果たさないと自分の立場がなくなってしまうので、その恐ろしさのあまり、身を粉にして役を果たす、という感じです。そうやって私が必死で立場を守るべく役を果たすことで、私の上司や動力も立場を守ることができて、その上司や同僚もまた必死で立場を守るべく役を果たすために頑張ることで、私の立場も守られます。 そういう立場と役との相互依存関係の巨大なネットワークが形成されていて、それが全員の必死の努力でかろうじて維持されているように見えますもしも誰かがどこかで「わがまま」を言って役を果たさないと、そこに穴が空き、そのほころびが急激に拡大して大穴となってしまい、周囲に大変な迷惑をかけるように思えるのです。しかし、そのネットワークの全体が、いったいどこに向かっているのか、自分の果たしている役が、いったいその全体とどういう関係にあるのかは、もはやサッパリわかりませんただひたすら、役を果たして立場を守っていれば、なぜか給料が振り込まれ、一定期間にわたってそれを続けていれば、どういうわけか昇進するのです。(p.221)

僕は軽く笑ってしまった。 親という立場と子どもという立場も同じじゃないかと。 多くの狂ったお母さんが、子どもをこういう関係に追いやっている。それと同じじゃないかと。 子どもは子どもという立場で、お母さんはお母さんという立場で。 お互いのメンツをかけて、依存しあっている。 立場を守るために役をつくる。役を作るために、、、いらない仕事を作る。 これは天下りの仕組みだし、立場をより強固なものにする仕組みでもある。 (本の中ではこの後に、原子力関係の「法人」がどれだけたくさんの「立場」の人間の天下り先になっているかを説明している。具体的に笑) 原発は、天下り先をつくるために、ある。 という事実をみんな知っているんだろうか。

 

最近の大学入試の外部なんちゃらに英検が入っているのも、文科省主催の全国学力テストも、英語の必須化、プログラミングのうんちゃらも、天下り先を増やす、立場を守るために役をたくさんつくっている、いらない仕事を作っているだけだということを、教師が知らない世の中だ。現実を知らない人間から何を教わっているのか??そうそう、先生と生徒という立場を教わる。 「立場」という戦時の文化を学ぶのが、学校だ。 と、はっきり言ってしまえそうだ。 そうすると学校の東大話法はあっさりと理解できる。 大学入試改革も、天下り先をつくるためにやった。 という事実をみんな知っているんだろうか。 僕らはただ欺瞞の言葉で語りかけられているにすぎない。 欺瞞に埋め尽くされている世の中で、頭がおかしくなるのが「自然」だろう。 もう声も届かない。 なのに。 発狂してしまったことを東大話法で隠蔽するお母さんもいる。 「この子には、自由を与えています」 虚しい。

 

========

 

母親という立場を守るために、子どもという立場をつくりあげ子どもという役を与えて、子どもという仕事をさせるのは、もうやめませんか。 というのがオトノネの考えです。 学校という立場を守るために、生徒という立場をつくりあげ生徒という役を与えて、生徒という仕事をさせる学校から子どもを守りませんか。 というのがオトノネの考えです。 国という立場を守るために、国民という立場をつくりあげ国民という役を与えて、国民という仕事をさせる国から子どもを守りませんか。 というのがオトノネの考えです。 どうするかって? 言葉を正すことです。 お母さんは、やり残した宿題に、取り組みましょう笑 簡単なことですよ。 鼻で笑うだけですから笑

 

========

 

最後に、どれだけ日本の多くの人が、「立場」に頼って生きているかがわかる話を引用します。 この話は衝撃でした。 これは家庭の中でも、会社の中でも、ママ友同士でも、どこでもありうることですね。

お子さんを守るために、福島市から関西に逃げられた方にお伺いした話では、放射能を恐れて非難するのは「非国民扱い」であり、夜逃げするようにしてスーツケース一つで、誰にも見送られずにきた、とのことでした。多くの人が山下教授の見解を信じており、それに疑いを挟む話をすることすら、憚れる状態だ、とのことです。 その方のお考えでは、福島県では、地元社会の束縛を嫌う人は、すでにほとんど出払っていて、残っている人々は、この近世以来のシステムに依拠する人々だとのことでした。そうすると、影響があるのかないのこあわからないような、しかも権力や権威が「影響はない」と言っている放射性物質を恐れて、「役」を捨てて逃げるというのは、決して許されることではない、というのです。 このような態度は、尾藤正英さんのおっしゃる「役の体系」を前提として考えれば、よく理解できます。日本の近世社会は地域集団と土地とが深く結びついており、ムラが土地を捨てて移動することは、ほぼあり得ないことでした。役の体系も、この住民と土地との結びつきを前提として形成されていました。それは、福島県だけの話ではないのです。東京でも同じことでした。ある関西在住の私の知り合いは、原発が爆発する前に、関東に嫁いでいた妹を、家族ごと非難させていました。ところがしばらくすると、原発が爆発したばかりだというのに妹が帰るというのです。驚いて理由を聞くと、 「ゴミ当番が回ってくるから」 というのでした日本の近隣社会で、ゴミ当番などの「役」を果たさないと、どれほど恐ろしい制裁を受けるかを、みにしみて感じている主婦が、このような判断をするのは、ある意味、当然なのです。放射性物質が大量に降り注いだ地域でも、「ゴミ当番」のために避難を諦めた人は、たくさんいるはずです。(p.235)

近世を生きている、もしくは戦時を生きている人たちが、富山県にも大勢いる。 それが、日本という土地に生きてきた人たちの積み上げた歴史の姿なのかとおもう。 マッカーサーが、「日本人は10歳だ」といったのも、わかる気がする。 それは悪口でもなんでもなく、西欧文化でいうところの「個」が自立できない土壌が、日本にはある、という事実を表現しているのだとおもう。 こんな現実、事実を知ると、心が揺らいでしまう。危ない危ない。心のシステムがしっかりしていなかったら、絶望してしまうだろう。  

【ヒトラーに告ぐ】学び(知)の危うさ。だから、心が大事。知と心の違い。

 

だから、みんなショッカー(魔王)になっちゃんだけどね。 絶望して、ウルトラマンは、最近、闇落ちするらしいね。(子どもが教えてくれました) ウルトラマンもショッカーの方にいっちゃう世の中だよ。

 

心が大事。 さてさて、僕も、鼻で笑う練習をしようかな笑

 

===

 

ここまで書いてきて、思うことがある。 東大話法という言語話者と、そうでない人がいるこの国で、二人はどのように生きていけるのか。 鼻で笑ったら、相手にされなかったら、東大話者はたぶん面食らってしまう。 言語環境、文化が違いすぎて、話にならない。 異なる文化の人間が混ざっている。 別にどちらかが正しい、というわけではない。 東大話者が大多数を占めており、息苦しい社会で、どちらの言語を習得させるか。どちらの文化を体得させるか。 子育てでは、その選択をまず、なによりも先にしておくといいのかもしれません。 学校では、東大話法を学びます。 地域でも、東大話法を学びます。 家庭で東大話法を使えば、その子は東大話法しか使えなくなるでしょう。

徹底的に不誠実で自己中心的でありながら、 抜群のバランス感覚で人々の好印象を維持し、 高速事務処理能力で不誠実さを隠蔽する。(p.114)

お子さんにこのような人になってほしいなら、そのように育てる、ということです。 「小さなガンジー」たちは、「僕は、私は東大話法なんて喋らないからね。東大話法に洗脳されたくないからね」と言っている子なので、お母さん自身の言語環境(心)を変えた方がいいのかもしれません。 話が通じないけど、別にどちらが悪いとかでもない。相手は「純粋の悪意を持った人間」です。 そういう異質な人が集まっているという認識が欠けている人たちが、東大話者だとしたら(自己中心的だからきっとそうだろう)、それこそ、少数派の人は大多数の東大話者の暴力から自分の身を守る心のしくみをつくったらいいのでしょう。 へらへらと、笑ってしまおう。 暴力に屈しない。 流れるようにー さらさらさらーーー